伝統工芸というお仕事

初めまして

 

ご縁いただいて、こちらに投稿させていただく

 

安田素彩です。

 

宜しくお願いします。

 

 

私は滋賀県大津市で主人と小さな仏像工房を営んでおります。

主人が 彫刻 私が彩色と截金そして仏画を描いています。

 

 

変わったお仕事だな?と思われる事と思いますが

 

こんなに美しい仕事もあると

 

もっと知っていただき、その文化を広めていきたいと思っています。

 

 

截金(キリカネまたは キリガネって読みます)というお仕事は

 

初めて聞く方もきっとおられると思いますが、

 

金箔を4枚か5枚を焼き付けて合わし

 

それを専用の箔台に乗せて竹の刀で細く切って

 

模様を作りながら貼っていきます。

 

 

言葉で説明するのはとても難しいのですが

 

両方の手に筆を持ち

 

片方の筆に細く切った箔を筆先につけ

 

もう一方の筆に、のりを付け

 

のりを付けながら金箔を貼っていくのです。

 

 

 

 

 

スピード時代、とは反対にカメの歩みのような仕事で

 

現代社会からはかけ離れた世界のようですが

 

私が20歳の頃にある人から言われた言葉が

 

ウサギと亀の童話と重なって私を支えてきました。

 

 

 

当時はパリコレが日本で始まり

 

有名デザイナーが出てきたそんな時代だったので

 

私もデザイナーにあこがれたことがありました。

 

その時同級生だった現在の夫は仏像彫刻の世界にまっしぐらで

 

卒業して仏師の道に入りました。

 

その当時見向きもされないお仕事で

 

アルバイト程度しかお金はもらえず

 

そんな古くさい仕事をなぜ選ぶのだろうと不思議に思っていました。

 

 

 

そんな時世界で誰もやってない事をした方が 早く一番になれる!」

 

とある人から諭されました。

 

その時の私は、聞き流してしまいました。

 

デザイナーの道にあこがれを持って、

 

テキスタイルデザイナーのお仕事をしていました。

 

 

 

そんな私が仏画を描いて截金の道に進むことになったのは

 

その言葉が私のどこかに残っていたのだと思います。

 

そんな紆余曲折を少し書いてみたいと思います。

 

 

幼いころ

 

 

私は生まれは京都の傘の製造卸をしていた家に生まれ

小さい頃は夏になると一日中虫撮りをしているお転婆な女の子でした。

 

汚れてもいいように傘の生地で作ったスカートをずーっとはかされていました。

 

(とってもいやでした!)

 

 

家の前が相国寺のお坊さんが修行をしている般若林というところで

 

そこで一日中虫取りに明け暮れていました。

 

特に地セミを取ってきて蚊帳の中で孵すのですが

 

脱皮をして出てきた時のペールグリーンが美しく

 

日本画の白緑を見るといつもセミを思い出します。

 

あなたは セミの脱皮見たことがありませんか

 

一度見てみてください。

 

縮んだ羽を伸ばすところが、見ものです。

 

 

 

般若林を抜けていくと相国寺になります。

 

相国寺は今では有名な美術館になっていますが

 

小さい頃 お堂の中で隠れんぼをして

 

ふと天井を見ると龍がこちらをにらんでいました。

 

 

今では入ることができない重要文化財になっていますが

 

塔頭にも遊びに行って

 

色んな水墨画や仏画を普通に見ることが出来たことが重なり、

 

仏画を描く事に自然に導かれたのかもしれません。

 

そんな幼少期を過ごしました。

 

そのころの体験が今の自分のベースとなっている気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この記事を書いた人

安田 洋子


安田素彩(洋子・62歳) 高校を卒業後 友禅染・テキスタイルデザイナーをしていました。 25歳で仏像彫刻をしている夫と結婚 30代は水彩画・日本画を描きながらアルバイトで帯や着物の柄を描いていました。 40歳 琵琶湖ホテルの客室画84室制作(水彩画)     截金・仏像の彩色を始める 42歳 全日空ホテルの屏風絵12曲 制作(アクリル) 本格的に仏像の彩色・截金を仕事として始める 53歳 夫(安田明玄)の東京高島屋での個展      すべての作品に彩色・截金を施す。         二年後二度目の東京高島屋での仏像展 安田素彩として、仏像の彩色・截金 仏画師として作品多数あります。 3尺の大日如来・3尺不動明王・3尺11面観音・3尺釈迦如来 役の行者・など