自分らしさを復活させ、手にした栄冠~介護一色からミセスジャパンへ~Vol.1

「天国の彼が悲しむわよ!」

 

夫の一周忌が終わった、ある日のこと、

「せっちゃん、このままだと天国の彼が悲しむわよ!鏡を見てごらんなさい。」
義母(夫の母)から、ポンと投げかけられた一言だった。

 

鏡の中には、髪は真っ白、
ポーっとした別人の自分が映っていた。

 

10年前に突然発症したご主人の若年性認知症
(レビー小体型認知症)の介護を6年間され、
4年前にご主人を看取ったという経験をお持ちの金子節子さん。

 

お子さんのいない金子さんご夫妻は、
ご主人のお母さんと3人で暮らしていた。

 

「ほら、今、猫の親子が股の間をくぐって行ったでしょう。」と、
いないはずのものが見え始める夫。

 

朝食のトーストのパンくずが虫に見えて、
「わーっ、虫が40匹いるよ。」と驚く。

 

夕暮れ時になると蛍光灯の影が子供に見えて、
「君君、もう早く家に帰りなさい。」と諭す。

 

冬場、ソファーにちょっと置いていたコート、
人が座っているように見えて挨拶をし、台所にいる節子さんに
「節子、お客さんに挨拶をしたけど返事がないないんだけど、君のお客さんかい?」

 

一緒に居ながら、見る世界、会話のチャンネルが合わないという
不具合が突然起きたのが10年前のことだった。

 

あれよあれよという間に予期せぬ介護が始まり、
このような日常に疲弊し、ストレスから
お義母さんのメンタルが一番崩れていった。

 

当時80歳の義母は、長男夫婦の世話になり
余生を楽しく過ごす計画でいた。

 

戦争経験者の義母の気持ちを取り入れて
暖房費節約型のスウェーデンハウスの二世帯住宅を建てた。

 

しかし、そこには義母の描いた余生とは全く違う現実があった。

 

義母はできないことが増えていく、
しかし、息子の方が出来ないことだらけになっていく。

 

かいがいしくお世話している節子さんに対して、
義母は「いつもありがとうね。」と言ってくれていた。

 

介護・介助が進んで行くに従い申し訳なさから、

「迷惑かけてごめんね。」
「こんな子に産んでしまってごめんなさい。」
という言葉に変わって行った。

 

症状が低下する息子をそばで見ている義母は、
未来が全く見えなくなり、
ある日パタッと精神が止まってしまった。

 

そんな2人を抱えながら、
「神様は本当にいるのですか?」
と自分自身も壊れそうになる。

 

それでも、深く呼吸していくと
根っこの方で支えてくれている力を感じた。

 

ネットで検索していく中で、
レビー小体型認知症の病名を発見した

小阪先生と出会うことが出来、
節子さんはようやく暗闇から抜け出すきっかけを与えられた。

 

 

自分らしさを復活する再スタート

 

「このままだと天国の彼が悲しむわよ!」の一言をきっかけにして、

そこから1年ずつ自分らしさを復活する再スタートを切った節子さん。

 

気が付いて最初にやったことは、
自分の経験を誰かのお役に立てること。

 

『介護と同時にエンディングの準備をする』
大切さをお伝えしていきたい。

 

ご主人の願いでもあったこと、
(当時)レビー小体型認知症がまだ知られていなかったので、
次に続く人たちの道が少しでも明るくなるようにという願いを託されていたのだった。

 

24時間全介助となった夫の姿など、
本当はさらけ出したくない部分だった。

 

しかし、誰かの希望につながるのならと、
自分に言い聞かせ、言い聞かせ夫を代弁して来た。

 

メイン介護者だった気持ちをのせて、
分かち合っていくということをやって来た。

ちょっと勇気のいることだった。

 

そして1年目には、認知症予防にもつながる、
音楽レクリエーションの資格も取得した。

 

自分自身の体のリハビリ、ボディメイクを行う

 

2年目には、ボディメイクアカデミーの
3ヶ月のリハビリコースを受け、体の作り変えをした。

 

 

身体がボロボロで、股関節の痛みも酷かった。

 

スタート時は体脂肪率32%。
メチャクチャな食生活が原因だった。

 

と言うのも、夫の在宅介護最後の1年間は、
いつ食べていつ寝たか記憶が無かった。

 

パジャマで寝たことが無かった。
いつも夫のベッドのそばで添い寝していた。

 

15分から30分に1回痰の吸引を行っていた。

痰を吸引しないと気道が塞がり、息が出来なくなる。
そのために夜中起きていないといけない。

 

昼間は誰か来てくれる。
夜中は見守りというより、身体を張って見張っていないといけないというストレス。

 

そういう24時間全介助を1年間行って来た経験があったので、
だからこそ1人でも元気な人が増えて欲しいという願いに、
ご主人の願いも重ねてボディメイクを行った。

 

そして、その流れで生まれたのがミセスジャパンだった。

 

2017年世界大会のファイナリストとして活躍した人が、
東京大会の総合プロデューサーをやっていた。

 

その方から、突然Facebookメッセンジャーにメッセージが。

 

そのメッセージは・・・

なんと!ミセスジャパンへの招待状だった。

 

~つづく

 

Vol.2はこちらをクリックしてご覧ください。

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